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ANAが客室乗務員向けマニュアルをデジタル化した。これにより、持ち運びの利便性だけでなく教育面、コスト面でも大きな効果をあげている。
全日本空輸(以下、ANA)では、2012年4月よりグループの全客室乗務員約6000名がiPadを携行、電子マニュアルを利用することになった。先日、ANA 業務プロセス改革室の林剛史氏と広報室の国松歩美氏にその経緯や効果などについてお話をお伺いすることができたので紹介したい。
航空業界では、LCC(格安航空会社)の新設、海外渡航者の増加に伴う羽田・成田空港の国際線発着枠増加など大きな変化がおこっている。国内航空会社にとってチャンスである一方、LCCや海外キャリアとの競争の激化が待ち構えている。
国際線ネットワークの強化を目指す同社では、新規就航路線の開設、既存就航路線の増便などを進めてきた。さらに競争力を高めるためには、1人の客室乗務員がより多くの路線に乗務したり、より多くの機材を扱うといった生産性の向上と、国際線に乗務するサービススキルを持つ国際線資格者の育成が急務であった。
ここで改善課題になったのが、紙ベースによる知識習得環境である。
従来のマニュアルでは、たとえば機内食をセットする場合についてもセットの仕方やサービスの仕方などが、文字情報を中心に記載してあった。学習者は文章から実際のアクションをイメージして行ったり、集合訓練で実際に目で見て習得する必要がある。そのため客室乗務員は実習が1日あると、1日乗務ができなくなってしまう。
何よりも、紙のマニュアルは多くて重いという難点があった。客室乗務員のマニュアルは、合計で約1000ページ、3冊。2キロある。しかも年間で差し替えが600ページ発生する場合もある。学習時に付箋や書き込みなどをしても頻繁に発生する差し替えによってすべてやりなおさなくてはならない。紙のマニュアルでは限界だった。
そこで3年ほど前から検討を重ね、2011年よりiPadで見やすいマニュアルづくりに取り組んだ。
デジタル化の作業は地上勤務で業務を行っている客室乗務員が数名でおこなっている。ソフトバンクテレコムのクラウドサービスを利用し、紙のマニュアルをベースにしたPDFに動画や音声を編集して独自形式で配信する。動画はもともとCD-ROM教材として制作されたものを活用した。
当初は紙のマニュアルよりも編集に手間がかかるので作る側の負荷も大きく大変であったという。特にどうすれば見たいページにすばやく辿り着けるか、現場の担当者が見てすぐ理解できるか、という視点で編集やタグ付けに工夫をした。
林氏によると、マニュアルには機密事項も含まれるので限定的に編集業務を外部に出して2重管理をする大変さを考えると外に出すという判断には至らなかったとのことである。
2011年秋からテスト導入し、翌2012年4月から本格的に導入を始めた。これにより2キロあったマニュアルが700グラムになった。頻繁に発生していた差し替えの手間もダウンロードするだけでよくなった。
教育効果の面でも劇的に効果があった。アナウンスの発音を音声データをつけて聴いた上で練習できるようにするなど動画や音声を入れることで学習者の知識習得のスピードが格段にアップした。さらに習熟度が増すことで乗客に提供するサービスレベルの向上も期待できる。
また「いつでも、どこでも」学習ができるようになったことで集合訓練を自己学習に置き換えることができ、スキル習得が1年短縮できるようになった。これらにより100名の生産性向上、合計4億円あまりの効果となった。
客室乗務員の反応も、軽くてわかりやすいということで非常に喜ばれているという。導入時に不安もあったが、始めてみると比較的抵抗がなく受け入れてもらえた。導入の方法も工夫した。先行で導入した700名から声を集めて運用面の不具合を是正した。また本導入時には、先行導入した人が中心となって周りに使い方をレクチャーしてもらうような体制にした。
林氏に今後について伺ったところ、客室乗務員以外へも同じような効果が摘み取れるところはマニュアルのデジタル化について継続で検討をしていく方針だという。
ベテラン乗務員が行うサービスの仕方や所作を動画に記録してマニュアルに加えたり、マニュアルで長時間参照された箇所や付箋が貼られた場所、書き込まれたメモ情報などを集約・共有することで、いままで目に見えなかったり言葉で表せなかったノウハウを皆で共有することも考えている。また学習履歴を参照したマニュアル改善のPDCAをまわす仕組みづくりも検討していきたいという。
ANAの場合は、重くて差し替えが多いマニュアルをなんとかしたいと思って辿りついたのがiPadだった。そして実際に使ってみると、重さや更新の手軽さ以上に学習時間短縮やスキル向上といったプラスの効果があった。
クライアントから相談を受けたときに、相手の課題解決に適したメディアを提案できるのは紙の特性もWeb・スマートフォンの知識も持っている印刷会社の得意とするところであろう。クロスメディア提案を行っていくためにも多方面にアンテナを張って日頃から情報や事例を収集しておくことが役に立つ。
(JAGAT研究調査部 クロスメディア研究会 中狭亜矢)