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広告はもとより商品開発や空間ディレクションまで、幅広いフィールドで時代をリードするクリエイティブワークを展開する佐藤可士和さん。ミケランジェロやピカソ、デュシャンやウォーホルに憧れ、時代のアイコンをめざす佐藤さんに、デザインに興味を抱いたきっかけから先輩アートディレクターの教え、仕事に対するスタンスなどをお伺いしました。
(インタビューより)
―― いわゆるクリエイティブに関心を持たれたのはいつ頃だったと思われますか。
佐藤氏 小さい頃から絵を描くのがすごく好きでしたね。2歳、3歳のときにディック・ブルーナの絵本を見て衝撃を受けたということもありますし、物心ついてからは漫画だったり。
僕は、漫画をグラフィックデザイン的に捉えていたのです。『週刊少年マガジン』や『週刊少年サンデー』の全盛時代、赤塚不二夫さんの「天才バカボン」や永井豪さんの「デビルマン」を素材にした表紙を模写することが大好きでしたね。漫画を読むことも好きだったのですが、ストーリーを楽しむというよりも、たとえば「天才バカボン」という文字と漫画を1枚のポスターのように捉えて、そのかたちにすごく興味があったのです。
小学校4年生くらいからはロゴですね。adidasのロゴが僕にとって初めてのブランドで、自分のノートを「adidas」のロゴ入りノートにしたくて、なんとかきれいに模写できないかなと思ってずっとやっていましたね。その後はレコードジャケットです。高校生や大学生の従兄弟のところに遊びに行くと、たくさんレコードを持っていて、部屋の壁にポスターが貼ってあるのをみて、「すごいデザインだなあ」と思いました。僕の場合、音楽から入ったのではなくて完全にジャケットから入ってました。KISSとか、バンド自体すごいビジュアルでインパクトがあるわけですけど、ロゴも印象的でしたよね。あとはセックス・ピストルズ。“NEVER MIND”とか、よく覚えていますよ。
―― 1980年代くらいのグラフィックアーツに早くも触れていたということですよね。
佐藤氏 小さい頃は絵本だったり、小学校低学年では、サッカーなどスポーツ用品や漫画だったり、高学年になるとレコードジャケットとか。すべてが商品であり、アート性を感じるモノに惹かれていたんだと思います。ポップなモノというか、「今な匂い」がするというか、今売られているモノというか、現代性というのですかね。考えてみれば、レコードジャケットもadidasも印刷物です。その時代には、印刷物がすごく重要な表現方法だったのですね。僕は1965年生まれですが、その頃すでに、今に通じるカルチャーのベースはできていたんだと思うのです。
1970年~ 1980年代のレコードジャケットやブランドのロゴって、今と比べるとひどいよねということはないじゃないですか。東京オリンピックの頃からテレビのカラー放送が普及していますから、僕はカラーのメディアがある状態で生まれているわけですよね。ですから、漫画にしろレコードジャケットにしろ、カラーテレビにしろ、そういうカルチャーが生まれてきた時代にリアリティーを感じる世代なんだと思いますね。
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本誌では、佐藤さんのデザインに対する考え方や原点となる体験など、6ページにわたるインタビューを掲載しています。是非チェックください!
『プリバリ印』2011年8月号
特集:
印刷インキ、その奥深き世界。
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