本記事は、アーカイブに保存されている過去の記事です。最新の情報は、公益社団法人日本印刷技術協会(JAGAT)サイトをご確認ください。
スティーブ・ジョブス亡き後のAppleがiPadの新型を発表した。なぜかiPad3ではなく新型iPadという名称で呼ばれているが、一部には「解像度が上がっただけ?!」という悪口もある・・・。
iPhoneでRetinaディスプレイの実力は知っていたが、2012年3月16日にRetinaディスプレイが採用された新型iPadが発売された。このiPadの場面を見るにつけ、色々な思いがこみ上げてくるので、少しコメントさせていただく。
Retinaディスプレイとは、AppleがiPhone 4で採用したディスプレイのことで、元々「網膜」という意味の単語である。このように網膜の解像度に迫るという意味合いを持って使われているので、最大の特徴は画面解像度の高さにある。物理的には1ピクセルの幅が78ミクロンと肉眼では見えない程度に小型化されている。
今まではiPhoneサイズの液晶ディスプレイしか存在しなかったのだが、技術の進歩は著しくiPadサイズ(9inch)のRetinaディスプレイが登場し、その仕入れ元が韓国のLGからサムスンに移ったとか、これにシャープが絡んでいるとかうわさ話が飛び交っている(これはこれで興味深いのだが)。
この先Mac Book AirくらいまではRetinaディスプレイが採用されそうなことは折り込み済みだと思うが、印刷業界にとってRetinaは紙の品質と比較される品質であり、Ritinaディスプレイを見過ごすわけには行かないだろう。
さて、若い人には馴染みが薄いかもしれないが、昔話を含めて少し解説させていただきたい(説教じみた話しは無し)。Retinaディスプレイの1画素の大きさは78ミクロンであり、CEPS(Color Electoric Prepress System、電子画像集版システム)時代に言われていた入稿画像解像度で考えれば12.8本/mmとなり、大まかにはミリ13本、つまり330dpiということができる。
CEPS時代に使用していたハイエンドスキャナの多くは入力解像度350dpiといっても少し大きめのアパチャでスキャニングしていたので、現在のデジカメ時代に当てはめてみれば350dpiで300dpi相当、400dpiで350dpiくらいしかなかったと思う。(今思えば300dpiだ!400dpiだ!?いや350dpiが実用的だと議論していた時代が懐かしい)
当時から入力レゾ(画像解像度)に関しては色々議論されていたが、私は「人間の目の解像力にあった解像度が最適である」といっていた。世間では入力解像度はスクリーン線数の2倍が必要ということで、85線/inchの粗い網点の際には170dpiで入稿していたのだが、これは理論としては決して間違ってはいなかった。網点が平均化されて表現できる画質を考えていけば頷けることだ。
しかし、RIP演算の際、ファイナルレゾ(CTPやプリンタのレゾ)が細かければ、350dpiと170dpiでは明快な画質差が出てくるのも自明なのである。例え85線の粗い網点でも図形や文字表現でその網点がちぎれて文字を再現できるのであれば質感は格段に違うはずだ。細線を表現するのに網点一個全部使って再現するか?網点の半分で再現できるのとでは線の細さは大きく異なる。
当時「入力解像度はスクリーン線数の二倍」を盲目的に信じていた人間と、中身を理解してケースバイケースで柔軟に運用していた人間ではビジネスでも大きな差が生まれていた。解りやすくいえば粗線の場合でも「あそこに頼むと品質が良いんだよね」などという感じである。要は担当者が高解像度で入力しておけば見た目にも差が出ることを知っていて、85線の網点でも170dpiではなく350dpiで入稿したということだけなのである。
このことはiPadにも大きく関わる話で、Retinaディスプレイを前提とすれば、大画素の画像データが生きてくるので、最近のデジカメの実力がフルに発揮されるのだ。つまり元画像の解像度が高ければ、良い結果は得られるものだということであり、解像度の高いRetinaディスプレイは高精細化したデジカメ画像を見るディスプレイとしては最適なのである。(これだけいえばビジネスのイメージは沸いてくるはず)
また、完全にベクトルベースでRetinaディスプレイに再現したら400dpi相当以上の質感を持っていることは間違いがない。テキストデータでもイメージ的には400dpi画質という感じだ。iPhoneの場合の画面サイズは従来のiPhone 3やiPhone 3GSと同じ3.5インチのまま、960×640ピクセル、解像度326ppiと4倍以上の解像度を実現している。画素数は大事だが、いままでデジカメの画素数を云々言う人にはろくな人がいなかった(画質は「画素数より調子再現」が重要なファクターだった)ものだが、Retinaディスプレイになると「画素数こそ力」になってくるのは間違いではない。
「温故知新」という言葉は歴史好きの私も大好きだが、その実践方法を誤ると「百害あって一利無し」になってしまう危険ワードである。年配者の経験は役立つものだが、先ほどの画質を「CEPS時代の昔は良かった的な話」にしてしまったら聞く耳を持っていた人まで耳を閉じてしまう。若い人と接するには教えたくとも教えない勇気が必要だと最近強く感じている。「フィルムの返し返しによる網点変化」「フィルムから刷版に焼くときの網点変化」は重要ではあってもCTP時代以降の人には余分な情報が多すぎる。
しかし、Retinaディスプレイになると紙品質の文字組版がディスプレイで再現可能になるので、Ritinaディスプレイでの組版というものを上手くビジネス化すれば、大きな差別要因になる。特に今のところはタブレットといえばiPadだけを考えても成り立つ状況だからだ。EPUBを考えなければiPad Retinaディスプレイを紙と考えて、特化したデザインは可能だからだ。紙と同等と言い切れるくらいの実力は有している。
しかし、印刷業界に重要なのはデジタルファーストという大命題だろう。一昔前ならDTPデータを考えれば、それが立派にマルチユースデータとして通用したのだが、現時点では電子書籍データ(XML的な元データ)が最初にあってそれをDTPデータに加工するというワークフローの方がスッキリくるというように考えられている。
紙だけの仕事に特化するのも否定はしないし、PDFで電子書籍展開するのも世間で言われているほど個人的には嫌いではない。しかし、カタログやパンフ類が大きくiPadを意識した方向にシフトすることが予想されている中、デジタルファーストである電子書籍の仕事をやらない手はないだろう。またやらないと紙の仕事も絶対に減ってしまうとRetinaディスプレイを見ながら強く感じている次第である。
(文責:研究調査部 部長 郡司秀明)